「橋本絵莉子波多野裕文」は、チャットモンチーの橋本絵莉子と、People In The Boxの波多野裕文による、2人組のユニット名および2017年6月21日に発売された、彼らの1stアルバムのタイトル。
僕はチャットモンチーが大好きなので、この作品を手に取りました。チャットモンチーの橋本さんと、People In The Boxの波多野さんという、非常に個性の強いお二人による作品のため、どのような仕上がりになっているのか楽しみに発売を待っておりましたが、想定を超えて素晴らしい作品です。
橋本さんはチャットモンチーのほとんど全ての楽曲を作曲していますが、「自分以外の誰かが作った曲を歌いたい」というのが、このデュオ結成の動機であるとのことです。オフィシャルサイトに2人のインタビューとアルバムのセルフライナーノーツが掲載されていますので、そちらもご参照ください。また、カルチャーニュースサイト「CINRA.NET」にもインタビューが掲載されていますので、こちらもぜひ目を通してみてください。このインタビューの中で、波多野さんが「時代を飛び越えた作品ができた手応えがある」と発言されているのですが、このアルバムは流行からは距離を置き、優れた2人のミュージシャンが拘りぬいて出す音と言葉に満たされています。
では、ここから1曲ずつのレビューです。2017年6月26日に原宿VACANTにておこなわれたアウトストアイベントで、アルバムの制作過程に関する話をいろいろと聞けたので、そちらの内容も適宜引用します。収録楽曲は下記のとおり。
01. 作り方
02. 飛翔
03. 幸男
04. ノウハウ
05. トークトーク
06. 流行語大賞
07. アメリカンヴィンテージ
08. 君サイドから
09. 臨時ダイヤ
01. 作り方
このアルバムでは、主に橋本さんが作詞、ボーカル、ドラム、パーカッション類、波多野さんが作曲、ギター、キーボード類を担当しています。1曲目「作り方」は、橋本さんがザイロフォン (シロフォン)、波多野さんがガットギター (クラシック・ギター)を担当する、ゆるやかな1曲。1分24秒という短い曲ながら、アルバムのイントロダクションにふさわしく、アルバムの方向性を示しつつ、リスナーの耳をこれから始まるアルバム用にチューニングしてくれます。
まるで、スタジオに1本だけマイクを立てて録音したデモテープのような、飾り気のない生々しい音質。前述したアウトストアイベントでこの曲のレコーディングにも触れていて、実際のレコーディングもスタジオのブース内ではなく、ロビーにマイク1本を立てて録音したとのことです。
歌詞は全編英語。この歌詞についても、アウトストアイベントで語っていて、「bridge」は橋本さん、「wave」は波多野さんの名字の1文字目から取っているとのこと。そして最後の「the music」から始まるブロックは歌詞カードには記載があるものの、実際の曲中では歌われていないのですが、「field」はミックスを担当した田中さんをあらわしているとのことでした。
この説明が無くとも、歌い出しを例にとれば、まず〈the words〉とカッコつきで記載され、wordsがどういうものであるのか、を詩的に表現しているようにも思えます。「bridge」は橋本さん、「wave」は波多野さんを表す、という情報を取り入れ、タイトルが「作り方」であるということも考慮に入れると、パズルがぴったり合うように意味が浮かび上がってきますし、アルバム1曲目にますますふさわしい曲だと納得できます。シンプルな単語が使われ、響きもとても良い歌詞なので、実際に聴いてみて、確かめてください。
02. 飛翔
イントロ的な1曲目に続く、2曲目「飛翔」は、ミュージック・ビデオも制作されており、アルバムのリード・トラックと呼べる1曲です。
この曲は転調する部分があり、初めて聴いた時から、その部分がとても耳に引っかかりました。イントロからはヘ長調(F major)で始まるのですが、秒数でいうと1:09あたり、歌詞でいうと「家から小走りで行きたい」の「りで」のところで、ニ長調(D major)に転調します。そして、1:28あたりの「飛翔」という歌詞から、ヘ長調に戻ります。転調というと、それまで短調だった曲がサビから長調になって一気に明るくなる、というような雰囲気を一変させる効果を狙ったものが多いのに、「飛翔」はフレーズの途中でいきなり転調し、リスナーを「えっ?」と思わせ揺さぶるところが特異です。人によっては特に気にならないかもしれませんし、最初は違和感があったけれど、聴きこむうちに耳に馴染んできて何度も聴きたくなる、という人もいるでしょう。こういうちょっとしたズレやこだわりを忍ばせているところに、このアルバムの奥深さがあります。僕自身は、少し耳に引っかかりながら、流れるように自然に転調していくところが、心地よい違和感になっていて、何度も繰り返し聴いてしまいました。
音楽理論に詳しい方には不要な説明とは思いますが、簡単に説明すると、ヘ長調の部分はFの音(ハ長調におけるファ)から始まるドレミファソラシド、ニ長調の部分はDの音(ハ長調におけるレ)から始まるドレミファソラシドを使って、メロディーができあがっている、ということです。そして、この曲ではヘ長調とニ長調に共通のGとAの音を利用して、いつの間にか転調が完了しています。陸上のリレーのテークオーバーゾーンのように、という例えが適切かはわかりませんが、カチッとわかりやすく転調するわけではなく、少し被る部分があり、独特の違和感を残しつつ、さりげなく転調しています。
歌詞の面では、「やばいおじさん」という言葉にまず耳を引かれますが、それ以外にも表現が多彩で、チャットモンチーの歌詞とは違う、橋本さんの作詞家としての一面が見えました。以下、歌詞の中で、僕が特に気になった部分を2点挙げて、具体的にご説明します。
まず、この曲に出てくる2種類の比喩表現。比喩表現で、「~のようだ」と別の事柄と比較して特徴をあらわす方法をシミリ(simile、直喩)、イメージの共通する言葉を並べて特徴をあらわす方法をメタファー(metaphor、隠喩)といいます。例を挙げると、「えっちゃんの笑顔は天使のようだ」がシミリで、「えっちゃんは天使だ」がメタファーです。
歌詞には「通い慣れた道は私んちの○○」という言い回しが3回出てきます。これは、比喩表現のうちのシミリにあたるわけですが、通い慣れた道を私んちの廊下や玄関だと表現しています。具体的に説明しているわけではないのに、町全体が自分の家の廊下や玄関のような場所、つまり愛着のある故郷を歌った曲であることが分かります。具体的に説明をしていないのに、いや説明的でないからこそ、意味やイメージが鮮やかに広がります。
もうひとつの比喩表現は「花屋のような服屋に帰りたい」という部分で、こちらはメタファーです。服屋を花屋に例える、お店をお店に例えているわけで、国語の授業でこのような文章を作ったら、良い評価をもらえないのではないかと心配になってしまいますが、「花屋のような服屋」という例えは、イメージや意味の守備範囲が広い、非常に優れた表現であると思います。「花屋」にどのような印象を持つか、というのは人それぞれであり、例えばあまり花屋に行く機会のない人にとっての花屋は、「毎日、前を通るけれど足を踏み入れたことはない、でも綺麗なもので溢れていることは知っている場所」であるかもしれません。この花屋のイメージを服屋に重ね合わせると、一気に歌詞の世界観に厚みとリアリティが増します。
チャットモンチーでの橋本さんの歌詞は、感情がそのまま言葉と音になったようなものが多く、心にダイレクトに突き刺さりますが、橋本絵莉子波多野裕文での橋本さんの歌詞は、イメージが無限に拡散し押し寄せてくるような、間口の広さがあります。そして、この人にしか書けないな、という個性を変わらずに持っています。比喩表現を例にとっても、常識にとらわれない自由な発想で、今までと耳障りは違うのに、まさに橋本絵莉子さんの歌詞だな、と思わせる言葉の使い方です。
もうひとつ、ここで取り上げたいのは「もう一度やり直せても 同じことを選ぼうと思う」という一節です。この表現は自然で耳なじみのいいフレーズですが、よくよく聞くと個性的で、良い意味での曖昧さを持っています。こういう仮の話が歌詞に出てくるときは、例えば「生まれ変わってもあなたと恋に落ちたい」というような現状の全肯定か、「タイムマシンがあったらあの時に戻ってやり直したい」のような全否定のどちらかのパターンが多いのに、「飛翔」の歌詞は違います。これまでの自分の選択に納得しているとも言えるし、もっと別のやり方があったかもしれない、という気持ちも同時に見え隠れする語り方です。自分が選んだ選択肢と、その選択をした自分自身に対する愛着と矜持が感じられる、とても力強い言葉のようにも響きます。特にチャットモンチーが好きな人にとっては、橋本さんがこの言葉を歌うことに、ハッとするんじゃないでしょうか。メロディーも、歌詞も、アレンジも、枠をゆるやかに、しなやかに逸脱していく自由が溢れていて、長く聴きこめる1曲です。
03. 幸男
この曲では橋本さんではなく、波多野さんがメインボーカルを担当しています。この曲は歌詞が前半部分と後半部分で対になっていて、音楽面でのアレンジもそれに対応しているように感じられます。ちなみに読み方は「ゆきお」です。
まず、「僕には夢がある」から始まる前半部分は、子供の視点から理想の未来を思い描いているようです。歌詞の語り手である「僕」は、飛行機のパイロットになって、いちばん好きな人と結婚して、毎日、食べたいものを食べて、クルマとカメラが趣味、というように、未来の自分を想像しています。おそらく子供らしさを表現するために「ちっさくない、おっきな夢だよ」「なんとかダブリューに乗って 一眼なんとかをぶら下げる」など、微笑ましく感じられる言葉使いが、随所に散りばめられています。
対して「僕には夢がない」から始まる後半部分は、実際に大人になってからの視点で、語られているようです。これはあくまで僕個人の解釈で、後半部分は語り手が入れ替わり、全く別の男性2人の視点から語られている、という解釈も可能かと思います。ここでは、同一の「僕」が語り手である、という仮定で話を進めます。子供から大人へ、時間の経過をあらわすためなのか、前半部分の言葉使いに比べると、シンプルで飾り気のない語り方になっています。歌い出しの「僕には夢がある」と「僕には夢がない」という組み合わせをはじめとして、前半部分と内容が対になる構造です。パイロットになって「毎日、見たことない、景色を見る」と歌われていたところは「毎日、見慣れた、景色を見る」になり、「いちばん好きな人と結婚して 毎日、食べたいものを、食べる」の部分は「どうでもいい人と会話して 毎日、どうでもいいものを、食べる」と変化しています。
前半と後半で一変している歌詞の中で、唯一変わらない部分が、最後の「僕は幸せ者」です。わざわざ説明するまでもなく、説明すると陳腐になってしまいますが、「幸男」というタイトルも象徴しているように、この曲は子供のころに考えていた大人にはならなかったけれど、それでも幸せ、夢があろうとなかろうと何気ない毎日が幸せ、ということを歌っているんですよね。しかし同時に、ありふれた幸せに気づくことが大切なんだよ!といった説教くささや、押しつけがましさが、全くない。「僕には夢がない」「どうでもいい人と会話して」など、一聴するとネガティヴな言葉が並んでいるのに、最後の「僕は幸せ者」という言葉のおかげで、優しく奥行きのある曲になっています。
アウトストアイベントで、橋本さんはこの歌詞ができたとき、すぐにこの曲は波多野さんに歌ってもらおうと決めた、という話をされていました。確かに一人称が「僕」の、このような視点の曲はチャットモンチーには見当たらず、まだまだ作詞家として別の引き出しがあるんだな、と脱帽します。
この曲はイントロから前半部分までは、アコースティックギターとドラムを中心にしたシンプルな構成ですが、1:50あたりからの後半部分は、ドラムの手数が増え、エレキギターが入り、アレンジが立体的になります。3:39あたりからは押しつぶされたような独特の音色のディストーションギターが出てきたりと、歌詞の面では後半の方がシンプルなのに、音楽面では起伏が大きく、チャットモンチーのオルタナティヴ性、People In The Boxのポストロック性が顔を覗かせます。歌詞はありふれた日常を歌いながら、サウンドとアレンジは激しい部分も取り入れて前半より複雑にしたのは、何気ない毎日にもいろいろある、ということを言葉ではなく音に込めたんでしょうかね。
04. ノウハウ
2曲目「飛翔」、3曲目「幸男」は、2人が同時に演奏できる以上の楽器がオーバーダビングされていますが、4曲目「ノウハウ」は、橋本さんのボーカルと波多野さんのピアノのみのシンプルな構成です。「飛翔」と「幸男」は、前述のとおり楽器がいくつか重ねられていて、アレンジも聴きどころが多い曲だったので、「ノウハウ」のピアノのみの演奏は、メロディーと言葉がよりダイレクトに耳に入ってきます。アウトストアイベントでの話によると、デモ段階での仮タイトルは「ピアノ」だったとのこと。
橋本さんのブレスの音も、音楽の一部のようにレコーディングされていて、前述のとおり伴奏はピアノのみの少ない音数ながら、いつの間にか集中力を傾けてしまう曲です。イントロから、ピアノもボーカルもゆったりとしたテンポで進みますが、ちょうど1:00あたり、歌詞でいうと「小さな君も」の部分から、ピアノの右手が8分音符、左手が4分音符で弾き始めて、それまでに比べるとビートが感じられるようになり、ボーカルのメロディーラインと併せると、ゆるやかにグルーヴ感が生まれ、加速していくように感じます。言葉も音も、ひとつずつゆったりと大切に紡がれていくのに、フレーズの最後の「好きよ」はサラッと流れていくようで、思いのほかあっさりしています。音の数は少ないのに、加速と減速、グルーヴ感がしっかりと存在していて、とても表情豊かな1曲です。個人的には「好きよ」の部分で、音楽の世界からフッと我に返るような感覚があり、「今いい音楽を聴いているな」と噛みしめられるポイントです。
05. トークトーク
この曲もミュージック・ビデオが制作されており、「飛翔」と並んでアルバムのリード・トラック的な位置づけの1曲です。この曲はアルバムの中で唯一、作詞作曲ともに波多野さん。作詞作曲ともに波多野さんが手がけているのが理由かは分かりませんが、アルバムの中で最も言葉とメロディーと音が、一体化しているように感じます。
アナログレコードのノイズを再現したような音質のエレキギターのみのイントロから始まり、0:11あたりでボーカルが入ってくるところからはアコースティックギターとベースのみ。0:28あたりから、主に左チャンネルからトライアングルの音が入ってきます。それぞれの楽器は手数が多いわけでも、わかりやすくテクニカルなことをやっているわけではないのに、音が幾重にも押し寄せてきて、とても情報量が多い曲です。どの楽器がどのタイミングで入ってきて、いつまで鳴っているか、どういう演奏をしているか、聴くたびに発見があります。
06. 流行語大賞
アルバムの中で唯一、作詞を波多野さん、作曲を橋本さんが担当。5曲目「トークトーク」と、この「流行語大賞」以外の曲は、全て橋本さんが作詞、波多野さんが作曲を担当しています。
イントロのピアノの音が印象的ですが、よく聴くとピアノと同じ旋律をザイロフォンがなぞっているのか、やや金属的なパーカッシヴな音が含まれています。そのためか、「ノウハウ」でのピアノの音に比べると、少しチープというかジャンクというか、かなり耳触りが違って聞こえます。このあたりも2人のアイデアなのでしょうが、実にマニアック(笑)
この曲は、各楽器の音の配置と、音質が好きです。音の配置と書いたのは、各楽器がスピーカーやヘッドホンのどのあたりから聞こえてくるか、音質というのは、どういう音で鳴っているのか、というサウンド自体のことです。それぞれの楽器はきっちりと分離して聞こえるのですが、各楽器が有機的に絡み合って、まるで生き物が呼吸をして躍動しているように生き生きと感じられる音楽です。特に2:54あたりからのアンサンブルがとても鮮やかで、いきなり目の前の世界がぱっと広がったように感じます。
この「流行語大賞」も、5曲目の「トークトーク」もですが、波多野さんの歌詞は、意味がつかめそうでつかめない、つかまえたと思ったらもっと遠くに行ってしまうような、不思議な魅力がありますね。「流行語大賞」の歌詞も、「本」や「図書館」は、過去になった出来事や言葉をあらわしているようにも聞こえるし、タイトルが「流行語大賞」であることも考慮に入れると、なにげないことを歌っているようで、普遍的なことを歌っているように聞こえます。
07. アメリカンヴィンテージ
この曲はなんといっても、アレンジが素晴らしいです。アコースティックギターのアルペジオを中心にした伴奏の上を2人がデュエットしていき、徐々に楽器が増えて、グルーヴが深みを増していく、という流れはここまでの収録楽曲にもありましたが、この曲はさらにシフトをいくつも上げていきます。曲後半、一度楽器の数が減り静寂に近づくのですが、3:55あたりから、徐々にノイズ要素のある音が増えていき、穏やかなボーカルのメロディーに覆いかぶさるように、次々と音が押し寄せます。個人的にこういう、一般的なポップミュージックからは除外されてしまう要素を取り入れた音楽が大好きなので、この「アメリカンヴィンテージ」も初めて聴いたときから、アルバムの中でお気に入りの1曲です。サウンド的にはノイジーで、不協和音も満載なのに、曲の流れのなかで聴いていると、無理せず受け入れられ、心地よささえ感じられる、ポップミュージックになっています。
歌詞は「海にアイロンをかけながら」という表現が秀逸。橋本さんは本当に比喩表現が巧みで、こういう部分はチャットモンチーではあまり表出していなかったかも、と思います。アイロンをかけるように目の前に広がる海全体をじっくり見渡しながら、船や太陽を待っている、その情景と心情が、具体的な状況説明以上に伝わります。「黒髪の先生」と「金髪の外国」というコントラストも、似た単語を対応させるように使っているのに、身近な黒髪の先生から、遠い海の向こうの金髪の外国へ、イメージと距離が一気に飛躍するところが、見事としか言えません。
08. 君サイドから
歌詞に「君サイドから再生します」と出てくるとおり、語り手の心情と状況を、カセットテープかレコードに例えているようです。この歌詞も「ふじ色のさるすべり」「そこが私の家」という具体的な記述もある個人的な歌であるのに、意味が限定的ではなく、イマジネーションを刺激されて、歌の世界にスッと入っていけます。「君サイドから再生します」という一節も、単純に君の立場からある物事を思い出しますという意味にも取れるし、レコードはA面(A side)とB面(B Side)のどちらか一方しか一度に再生できない、けれども両サイドを合わせてレコードである、とイメージを膨らませると、歌詞の中の「君」と「私」は誰で、どういう関係性なのか、というところまで、世界観が広がっていきます。
表裏一体の「君」と「私」が誰なのか、というのは、大学の文学部のゼミで議論してもいいぐらい、深く広がりのある表現になっていると思います。橋本さんは2013年に男児を出産されているので、母親が子供のことを歌っているようにも聞こえますし、過去の自分との対話と解釈しても意味が広がりますし、古い友人や恋人という解釈も無理なく成り立ちます。この曲に限らず、アルバム全体を通してですが、橋本さんの歌詞は個人的なものであるのに、言葉と歌詞全体が限定的ではなく、想像力を働かせることができる余白があるのが、非常に心地いいですね。
09. 臨時ダイヤ
リズムのアクセントが、ロック的なバックビートではなく、前のめりになっていて、阿波踊りや盆踊りのように手でリズムをとる日本の踊りを感じさせます。しかし、完全に阿波踊りかというとそうではなく、懐かしさとオシャレな雰囲気が同居する、無国籍な仕上がりになっています。インタビューとアウトストアイベントでも語られていますが、もともと波多野さんが作ってきたデモ段階では、もっと阿波踊りらしさが前面に出ていたアレンジだったものを、橋本さんが阿波踊りらしさを排除したくて、こういった完成形に辿り着いたとのことです。
このアルバムの中では、ビートがはっきりしていて、最もノリやすい曲と言っていいでしょう。ただし、わかりやすく4つ打ち、わかりやすい8ビート、のようなリズム・フィギュアではなく、リズムが伸縮しているように感じるような、自由で楽しいリズムです。ライブでの曲に合わせた手拍子ではなく、盆踊りで少しタメを作って手拍子するようなイメージでリズムを取ると、曲のリズムを感じやすいと思います。
歌詞は、前半部分は閑散期の臨時ダイヤで人がいない街、後半部分は祭りの時期で臨時ダイヤが組まれ人が集まる街が、対比的に描かれています。橋本さんが徳島出身であることから、阿波踊りを連想しますが、その予備知識なく聴いても、表現のみから世界観の広がる楽曲です。
アルバム全体のまとめ
実験的な要素も多分に持っていて、いわゆるヒットチャートに乗るような音楽からは距離があるのに、全てが自然で、端的に言ってポップで、聴いていて楽しい音楽です。これは、本当に奇跡的なことです。「飛翔」での転調や、「アメリカンヴィンテージ」の後半でのジャンクでノイジーなアレンジなど、普通とは違う音を使いながら、それが実験のための実験になっておらず、全てが良い音楽を作るための意味あるパーツとして、機能しています。手段と目的が逆転している部分が、ひとつも無いんです。
また、橋本さんがアウトドアイベントで、「飛翔」の歌詞ができあがったとき、あまりにも個人的な歌なので、他の人に理解されるのか、どういうふうに届くのか不安だった、という話をされていました。リスナーとして、完成した作品を聴いてみると、確かにパーソナルな歌であるのはものすごく伝わるのですが、息苦しさが全くなく、言葉に余裕と奥行があります。誰が聴いたとしても、想像力を羽ばたかせることができる作品です。
このレビューを書こうと思ったきっかけは、前述のアウトドアイベントでの橋本さんの発言です。「個人的だから、届くか不安だった」とのことですが、あなたの作品は非常に優れていて、多くの人に何かしらの感動を与えていますよ、少なくとも僕は多すぎるほどのメッセージを「飛翔」1曲から受け取りました、ということを書きとめておきたいと思いました。レビューの中でも何度か書きましたが、間口が広く、歌詞の意味は広く、サウンド的にも聴けば聴くほど発見がある、何十年も楽しめる作品です。ぜひ1人でも多くの人に聴いていただきたいと思っています。
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