「8cmのピンヒール」は、3rdアルバム『告白』に収録されている楽曲。作詞は高橋久美子、作曲は橋本絵莉子。
ドラマーとしても大好きだし、作詞家としても優れた詞を書き続けている、クミコンこと高橋久美子さん。この「8cmのピンヒール」も、説明的な歌詞ではないのに、状況や心情が浮かび上がってきて、不思議な魅力にあふれています。
「8cmのピンヒールで駆ける恋」が描き出す心象風景
タイトルにもなっている「8cmのピンヒール」という言葉は、サビ前の歌詞にも「8cmのピンヒールで駆ける恋」と出てきます。なにも説明していないのに、この一節から、語り手の状況や心情など、驚くほど多くの情報が鮮やかに伝わってきます。
まず、8cmのピンヒールを履いているということで、語り手はおそらく女性。そして、そんな高いピンヒールを履いて駆けるというのは、不安定だし、転んだらケガをしてしまうし、背伸びをしているとも言えるし、そもそもそんな高いヒールじゃ走れないし、と次々とイメージが浮かんできます。一切の状況説明なく、歌詞の語り手の状況と心情が明らかになります。実際にピンヒールを履いているのかもしれませんが、「8cmのピンヒールで駆ける恋」というのは比喩表現で、例えば使い古された表現で「綱渡りのような恋」と言えば似たような状況を描き出せるかもしれませんが、情報量は劣ってしまうでしょう。
「8cmのピンヒールで駆ける恋」とはどんな恋か?
歌詞に出てくるのは、語り手の「私」と、「あなた」の2人。前述したように語り手の「私」は、現状を「8cmのピンヒールで駆ける恋」と表現しています。1番のAメロの歌詞からも察するに、「私」は8cmのピンヒールを履いて走っていくような、不安定で危なっかしい、悩み多き恋をしているようです。さらに、本来「私」は8cmのピンヒールを履くようなキャラクターではないこと、少し背伸びして無理をしていることも、示唆されます。2番のAメロ、そしてサビで、以下のように歌われます。
歩幅を合わせて歩いた
転ぶとわかっていたけど
ねぇ私のこと全部わかるって言ったけど
あなた何も見えてなかった
2つ目の引用部分は、この恋が終わりかけているのか、危機的状況なのか、そんな印象も伴っています。そこをはっきりとは書かない、ヒリヒリとモヤモヤが同居する何ともいえない心情が、伝わってきます。僕自身は男なので、「女心はわからない、こわい!」「どうしてはっきり言ってくれないの?」なんてことも思ってしまいますが、恋愛の疑似体験ともいうべき、いろいろな複雑な感情を教えてくれるのも、チャットモンチーの好きなところです。
歌詞の比喩表現
この曲の歌詞には、他にも個性的で奥行きのある比喩表現がいくつかあります。Aメロの「化石になった脳みそが 私のからだを支配して」というのは、どんなふうに悩んでいるのかニュアンスが伝わるし、サビの「私たちの闇を照らすため 真っ黒の画用紙に空けた穴」というのも、2人の関係がうまくいっていないのを真っ黒の画用紙による暗闇に例え、沈黙と気まずい空気を破るために月を見て「綺麗だね」って言ったのかなとか、非常にイマジネーションをかきたてられる表現です。そして、繰り返しになりますが、こういう表現が活きてくるのも、「8cmのピンヒールで駆ける恋」という一節で、状況を鮮やかに描き出しているおかげなんですよね。
この、わずかな言葉にたいしての情報量の多さ。ご本人はものすごく努力し、時には苦しみながら歌詞を生み出しているのだろうし、「天才」という言葉を安売りしたくはないのですが、こんな歌詞を書けるのが作詞家・高橋久美子の天才たる所以です。
有機的アンサンブル
続いて、音楽の話へ。この曲の聴いていて気持ちいいところは、機械式時計のようにギター、ベース、ドラムがかっちりと合ったアンサンブルを構成しているところですね。チクタクチクタクと動き出しそうなぐらい、3つの楽器が有機的に絡み合って、曲を盛り上げていきます。あと、音のストップ&ゴーがはっきりしていて、ルーズなところとカチっと合わせるところが決まっていて、とてもメリハリが感じられます。
イントロから、もうめちゃくちゃかっこいいんですが(笑)、ドラムはバスドラをいわゆる四つ打ちで踏み続けながら、スネアとシンバルで8分音符と16分音符を織り交ぜたリズムを刻んでいきます。ベースは最初の4小節はシンプルに8分音符、ギターは歪みながらも独特の浮遊感のある音で、コードを弾いていきます。曲のイントロ部分が、まずフルスロットルで始まります。
Aメロに入ると、バスドラは変わらず四つ打ち、ギターとベースはミュートで8分音符を刻みます。イントロと比べると、一気にシフトを下げたように落ち着くのですが、ここからスネアを絶妙なタイミングで入れてくるので、独特のタメが生まれて、リズムが伸び縮みするように感じるんです。
音源の位置でいうと、0:25あたりからは2小節ごとに小節の後半部分に、それぞれ違ったリズムでスネアを叩いています。これがベースとギターのぴったり合った8分音符とはズレるので、耳に残るんですよね。0:40あたりからは、2拍目と4拍目にスネアを入れて、さらに8分音符でシンバルも加わるのですが、手数も増え、今度はギターとベースと縦のリズムが合うので、雰囲気がガラっと変わります。
歌詞と演奏の一体感
あと、触れておきたいところと言えば、2:09あたりから、歌詞でいうと「歩幅を合わせて歩いた」からの部分ですね。ボーカル以外の楽器が、音を止めるところがあって、つっかえながら、転びそうになりながら、歩いているようなアレンジです。履きなれない8cmのピンヒールで走るような恋をしている「私」の状態を、音そのものでもあらわしているようです。
ここまで挙げてきたところ以外にも、ギターとベースがミュートから、ミュートを解除する部分など、不安定な溢れ出す感情がサウンドからも伝わります。歌詞とアレンジおよびサウンドとの親和性の高さも、チャットモンチーの魅力のひとつです。
自分でもコントロールできない、どうしようもない感情を抱えたまま、8cmのピンヒールで駆けていく「私」。その「私」の眠れない夜や、溢れ出す感情、転びそうになりながらも、難しい恋に向き合う様子が、言葉でも音でも表現されています。言葉だけではなく、サウンドだけでもない。その両方を持ち合わせた「8cmのピンヒール」のような曲を聴くと、ポップ・ミュージックの強さと魅力を感じます。