「majority blues」楽曲レビュー

 「majority blues」は、2016年11月30日に発売されたチャットモンチー18枚目のシングルの表題曲。CDでの発売に先駆けて、2016年7月20日より配信でも販売された。作詞・作曲は橋本絵莉子。

 チャットモンチーの魅力はいろいろありますが、僕が好きなところのひとつは、歌詞においても、アンサンブルにおいても、サウンドにおいても、引き算の表現ができるところです。語り過ぎないことで、行間に意味が生まれ、音を詰め込みすぎないことで、休符にも意味が生まれる、そんな感覚。また、感情をそのまま削りとったような生々しい歌詞というのも、多くの人がチャットモンチーの魅力として挙げるところだろうと思います。この「majority blues」も、サウンドも言葉もシンプルでありながら、様々な情景や感情がリアリティをともなって浮かぶ、チャットモンチーらしさに溢れた楽曲です。

対を意識させる歌詞

 イントロのギターの音は、一聴すると非常にシンプル。ですが、わずかに揺らいでいるような、紙に水がにじんで広がっていくような、妙に耳に残る味わい深いサウンドです。このあとに入ってくるドラムのリズムも、ゆったりとしていて隙間が多いのですが、スカスカには感じず、むしろ広々とした開放感を感じます。このアレンジとサウンド・プロダクションのおかげで、ボーカルが前景化され、歌詞の言葉がすっと耳に届きます。

 歌い出しは「マママママジョリティー」と聞こえますが、歌詞カードを確認すると「my majority」。そのあと「majority minority」と続きます。多数派を意味するマジョリティと、少数派を意味するマイノリティ。この組み合わせのように「majority blues」の歌詞には、対になる表現がいくつも出てきます。例えば、1番のAメロの「自転車で30分」と「帰り道は40分」、2番のAメロの「東京は思ったより近かった」と「徳島は思ったより遠かった」などが、それにあたります。では、この対になる表現がどういった効果をあげているのか、歌詞はなにを意味するのか、これから僕の解釈をご説明します。

 チャットモンチーの福岡さんと橋本さんは、ともに徳島県出身。ファンの方なら、この曲は橋本さんが徳島時代を思い返している曲だと、すぐに思い当たるはずです。もちろん、そういった側面もあるとは思いますが、ひとまず伝記的な事実に引っ張られ過ぎないよう、歌詞の言葉から伝わるものだけを手掛かりに、歌詞を読んでみましょう。

 まず、歌い出しは先ほども引用したように「my majority」。この部分だけでは何とも判断できませんが、「私の内部の多数派」あるいは「私のまわりの人たちのうちの多数派」といった意味でしょうか。その後に続く「majority minority」。名詞を並べただけですが、この並列も様々に解釈できそうです。

帰り道の時間が10分伸びたのはなぜか?

 Aメロの次のように始まります。

自転車で30分 薄暗い道 ライブハウスは思ったより狭かった
帰り道は40分 ヘッドライトの中 初めての耳鳴りが不安だった

 1行目はライブハウスへ向かう道、2行目はライブハウスからの帰り道を描写しています。行きは30分だったのに、帰りは40分になったのはなぜでしょうか。僕は、初めてライブハウスに行った興奮から、また耳鳴りが治らない不安から、帰りは自転車を降りて歩くなど、心を沈めるためにゆっくり帰ったのではないかと思います。もちろん、はっきりとは記述されていないので、夜道は暗くてスピードを出すのが危ないから10分長くかかった、という可能性もあります。いずれにしても、説明的ではないのに、そのときのイメージが喚起される表現です。

 また、行きは「薄暗い道」、それに対して帰りは「ヘッドライトの中」と対にしたのも絶妙ですね。単純に対応する言葉を選ぶなら「真っ暗な道」と書いてしまいそうだけど、「ヘッドライトの中」と書くことで、車のヘッドライトに照らされて、車道の端を自転車で走っていく様子が目に浮かびます。

現在から過去を語る「私」

 続いて、Bメロ。「帰りが遅くなって 夢を見るようになった」というのは、ライブハウスに初めて足を踏み入れた語り手の「私」が、その日から音楽に目覚め、自分もステージに立つ側になりたい、という夢を持ち始めたということでしょう。そして3行目に「16歳の私へ」とあります。ここで、「私」が現在の視点から、16歳当時のことを振り返っていることが示されます。

 音楽面にも少し触れておくと、サビの「my majority」という歌詞の部分は、イントロ部分とメロディーの動きは同じですが、ちょうど1音分キーを上げるように転調しています。例えば、イントロでは最初のコード進行がE→B→Aだったのが、サビではF#→C#→Bとなっています。メロディーも、ここまでは音の起伏が激しくありませんでしたが、サビでは上下が大きくなり、転調とも相まって、曲の高揚感と緊張感が増します。そんなサビ部分の歌詞を、下記に引用します。

my majority みんなと同じものが欲しい だけど
majority minority みんなと違うものも欲しい

 イントロ部の歌い出しと共通する「my majority」という言葉が、サビのこの部分に至って、より具体的な意味を帯び始めます。「私」の中のマジョリティはみんなと同じもの、すなわち友人と遊んだりといった日常的な楽しみが欲しい、しかし「私」の中のマイノリティはみんなと違うものが欲しい。すなわち他の人には作れない音楽を作りステージに立ちたい、そのような思いが想像できます。もちろん、作詞家の意図はそうではないかもしれませんし、人によっては全く別のメッセージを読み取るということもあろうかと思います。ここで主張したいのは、僕の解釈が正解ということではなく、イントロ部分で歌われた歌詞よりも、Aメロを経て、同じ言葉でも伝わる情報の量が増えている、ということです。

東京と徳島の距離

 続いて、2番のAメロの歌詞。1番では16歳当時のことが歌われましたが、2番では22歳当時のことが歌われ、語り手の「私」が故郷の徳島から、上京したことが明らかになります。

飛行機で70分 空の旅
東京は思ったより近かった
右も左もわからない 前しか見えない
徳島は思ったより遠かった

 1番でも「自転車で30分」「帰り道は40分」と、時間の長さをあらわす表現が使われていましたが、ここでも「飛行機で70分」という表現が繰り返されます。70分というのは、1番の歌詞に出てきた「30分」と「40分」、つまり家からライブハウスまでの往復時間と、ちょうど同じ長さです。具体的な時間を入れることで、その後に続く「東京は思ったより近かった」という歌詞も、よりリアリティを持って響きます。

 「東京は思ったより近かった」と対になる表現が、その2行後に続く「徳島は思ったより遠かった」という一節です。当然のことながら、徳島と東京の距離は、物理的には変わりません。ここで「私」が言っているのは、歌詞に「思ったより近かった」「思ったより遠かった」と示されているように、物理的な距離ではなく、精神的な距離感です。

 徳島に住んでいる時に、夢が叶う場所として夢想していた東京は、飛行機に乗ればあっけないほどに近かった。しかし、実際に東京で夢をかなえるべく日々を過ごしていると、徳島の日々が遥か遠くに思われる。このように、地名としての「徳島」と「東京」、そして自分が生まれ育った場所、夢が叶う場所という、自分の感情も含まれた意味での「徳島」と「東京」、このふたつの異なる意味が絡み合い、リスナーの様々な感情を喚起させるのが、この部分の歌詞です。

伝記的事実とのリンク

 先ほど、伝記的な事実に引っ張られ過ぎないよう、歌詞の言葉から伝わるものを読み取る、と書きましたが、ここで少しだけチャットモンチーの伝記的事実と重なる部分をご紹介します。2番のBメロには、以下の歌詞が続きます。

始まりの鐘が鳴り
さよならの味を知る
22歳の私へ

 チャットモンチーが上京し、メジャーデビューしたのは2005年11月23日。橋本さんと福岡さんは22歳、高橋さんは23歳のときです。そして、デビューミニアルバム『chatmonchy has come』の1曲目に収録されているのは「ハナノユメ」。その「ハナノユメ」を思わせるギターのフレーズとドラムのリズムが、「始まりの鐘が鳴り」の歌詞の前、1:52あたりから挿入されています。この話は、2016年11月23日におこなわれた「チャットモンチーの鋼鉄婚式~鋼の11年~」の夜の部において、ご本人たちの口から紹介されました。

過去の自分との対話

 16歳と22歳という具体的な年齢が示され、語り手の「私」が現在の視点、少なくとも22歳以降の時点から過去を振り返っていることがわかります。また、歌詞のなかでは、それぞれサビ前に「16歳の私へ」「22歳の私へ」というかたちで出てくることから、「私」が過去の自分自身へ話しかけているような印象を与えます。そして、2回目のサビでは、このように歌われます。

my majority
あなたを作るの私じゃない だけど
majority minority
あなたを守る人は私

 ここに出てくる「あなた」と「私」は、ともに語り手の「私」を指しているのではないでしょうか。少なくとも、僕はそう解釈します。「あなた」は過去の語り手であり、「私」は現在の語り手。「あなたを作るの私じゃない」というのは、過去を変えることはできない、そして「あなたを守る人は私」というのは、過去の自分の判断・価値観を、今の自分は肯定し、愛おしく思っている。そんな意味なのではないかと、僕は考えます。

過去、現在、そして未来へ

 さらに歌詞は次のように続き、結ばれます。

まだ見ぬ私へ
あなたを作るの私だけ
majority minority
あなたを守る人は私

 ここまでは現在から過去を振り返っていましたが、歌詞の最後の部分に至って、視点が現在から未来へと向かいます。「まだ見ぬ私へ」というのは、未来の「私」ということでしょう。そして、その後に続く「あなたを作るの私だけ」という部分の「あなた」は未来の私、「私」は現在の私であり、未来の自分を作れるのは自分だけ、と歌っています。つまり、「あなた」=「私」です。この部分からも「majority blues」が、自分自身との対話をテーマにした曲であることが示唆されます。繰り返し出てくる対になる表現も、時間の経過を印象づけ、自分自身と向き合うことも含意しているように思われます。

 ある時期以降の橋本さんの詞には、自分という他者との対話や発見を思わせるものが多いと考えているのですが、それはまた別の機会、別の歌詞を取り上げたときにじっくりと掘り下げたいと思います。

majority bluesのブルース性

 歌詞を最初から順に読み解いてきましたが、最後にタイトルについて。この曲のタイトル「majority blues」。ブルースというのは、もちろんアメリカで生まれた音楽形式の名称です。音楽形式としてのブルースの特徴として主に挙げられるのは、12小節を基本としたブルース形式と呼ばれる構成、3、5、7度の音が下がったブルー・ノートと呼ばれる音の使用、そして、日常的な感情、特に憂鬱や悲しみを歌う、といったところでしょう。

 上記にあげたような条件を満たさず、厳密な意味では形式としてのブルースではないのに、「○○ブルース」というタイトルを持つ曲は古今東西に数多くあります。そういった曲は、ブルースのエッセンスや思想を含んでいるために、またはブルースのように歌詞で悲しみや憂鬱について歌っているために、名づけられたものがほとんどです。では、「majority blues」においては、どのようなブルース性が認められるでしょうか。

 まずサウンド・プロダクション。先ほども触れたように、ギターの音はわずかに歪み、わずかに揺れるような音色です。橋本さんのギターといえば、「恋の煙」や「湯気」で聴かれるような鋭い歪み、「親知らず」や「満月に吠えろ」で聴かれるような粘りとコシのある歪みなど、普段はよりロック・オリエンテッドな音作りです。しかし「majority blues」では、味わい深い、枯れたような、ブルージーと呼んでいいサウンドを響かせています。

 ギター以外のドラムとベースも、エフェクトは控えめにシンプルな音作りと言ってよいでしょう。さらに、シンセサイザーで出しているのか、鉄琴とギターのハーモニクスを足したような音も聞こえます。この音色も、楽曲に独特の浮遊感と、ノスタルジックな空気をプラスしています。

 チャットモンチーの曲は、歌詞がメロディーに乗っても、言葉ひとつひとつがはっきりと聞き取れるところが魅力です。それだけ、言葉とメロディーが自然に、分割できないほどに溶け合っているということ。起伏の激しいメロディー、言い換えれば歌らしいメロディーなのに、まるで話し言葉のように、自然に聞こえます。「majority blues」のメロディーは、これまでの曲と比べると起伏が少なく、最初から話し言葉に近い印象を受けます。

 自分の感情を静かに、しかしその奥には熱い情熱を持って語る歌詞と、話し言葉の延長のように流れるメロディー。言葉、メロディー、サウンドが一体となっていて、まるでチャットモンチーという生き物が呼吸をしているように感じられます。個人的な感情を、なるべくシンプルな少ない言葉と音をもって描き出すこの曲は、チャットモンチー流の現代的な女性のブルースであると思います。




LINEで送る
Pocket