チャットモンチー「完結」によせて。

 チャットモンチーが「完結」を発表しました。発表から時間も経ち、自分の心も落ち着いてきたので、チャットモンチーのどういうところが好きなのか、チャットモンチーと出会っていかに人生が変わったか、そんな個人的な話を記述させていただきます。普段は音楽に関して、あからさまな自分語りはしないのですが、こんな機会だからいいでしょう。

 僕がチャットモンチーと出会ったのは、2008年3月31日の武道館公演。当時の僕は、レディオヘッド、ソニック・ユース、トータス、アニマル・コレクティヴなどなど、語弊を恐れずに言えば白人中産階級的な音楽が好きで、いわゆるロキノン系のバンドをバカにするような嫌なやつでした。

 チャットモンチーの武道館に行ったのも、自分でチケットを取ったのではなく、友人に誘われたからです。「チャットモンチー」という名前は雑誌などで見かけたことがあり、少しは曲を聴いたこともあったものの、「音も名前もルックスも、普通の女の子が激しいロックやってます!ってのを敢えて狙ってるようで嫌だなぁ」ぐらいに思っていました。しかし、なんとなく最近の若手ガールズ・バンドはどんなものか見てみようと思い、友人の誘いに応じたのでした。

 そして、ライブ当日。ピクシーズの「Here Comes Your Man」がBGMとして流れるなか、チャットモンチーの3人がステージではなく、アリーナ後方の通路から入場。アリーナ後方に設置されたお立ち台のようなところに立ち、ポーズを決めました。この時点での僕は「はいはい、こういう感じでかわいさ、面白さもアピールするのね」ぐらいのテンション。そして、アリーナ客席のなかの通路をとおり、チャットモンチーがステージへ。

 1曲目に演奏されたのは「ハナノユメ」。もう、この1曲目が鳴った瞬間に人生が変わりましたね。高校ぐらいから、洋楽を中心に年20~30本ぐらいライブに行き、サマソニかフジロックのどちらかは必ず行く、というような生活をしていて、それまでにもライブで衝撃を受けたことは何度もありました。でも、この日のチャットモンチーのライブは、自分のリスナー人生、音楽の聴き方を変えるぐらいの衝撃だったんです。

 まず、歌詞がはっきりと聞きとれる。そして、ギター、ベース、ドラムが、それぞれリズム楽器であり、メロディー楽器でもあると言い切れるぐらい、有機的にグルーヴ感を生み出している。歌詞からだけじゃなく、バンド全体が出す音から、心臓からドクンドクンと血がめぐる、その感じがリアルに伝わってくる。しかも、音楽が呼吸をするように3人の体からあふれ出てくるようで、全くわざとらしさ、作り物っぽさが感じられない。橋本さんの歌は、メロディアスであるのに、話し言葉の延長線上のように自然です。福岡さんと高橋さんのリズム隊は、まるで軽やかに掃除か料理でもしているみたいに、日々の暮らしの延長のような、地に足の着いた感覚がありました。

 このあとのライブは、もう本当に素晴らしい音楽に、ただただ驚くばかりの時間。当時の僕は、ロックはいろいろ聴いてきて、自分の知らない新しい音楽に出会うために、ジャズ、現代音楽、民族音楽などを掘っていた時期でした。そんな時期だったので、いわゆる一般的なロックバンドには、もうあんまり衝撃を受けることはないんだろうなぁ、と思っていました。だけど、チャットモンチーは、ちっぽけな僕の固定観念を、たった3分30秒の1曲で吹き飛ばしてくれたのです。

 クリシェのみからできあがっているかのように、わかりやすくポップでかっこいいのに、最終的に完成する音楽は、どこまでも新しい。こんな感覚は初めてでした。使うパーツが古いからといって、できあがる音楽も古いとは限らない。もうやりつくされたと思われる3ピース・バンドのフォーマットにも無限の可能性がある、まだまだ新しくかっこいい音楽を作れるということを教えてくれました。あんまり非科学的な言葉は使いたくないのですが、こういうのがバンドの魔法なんだよなぁ。

 チャットモンチーに出会ってから、それまで以上に音楽を大切に聴くようになりました。言葉のひとつひとつ、音のひとつひとつまで、全てに意味があると思って、大切に。そうすることで、自分のリスナーとしての世界は確実に広がり、チャットモンチーの楽曲もますます魅力的に響くようになりました。

 この日から現在まで、数えてみたらフェスやイベントも含めると、チャットモンチーのライブに200回以上行ってみます。別に回数を自慢したいわけではなく、チャットモンチーの魔法の秘密を知りたくて、ライブに通い続けました。僕はライブに関しては、良かったら行くし、悪かったら行かない、そうシンプルに判断することにしています。そして、2008年の3月から今まで、チャットモンチーが僕の期待を裏切ることは一度もなく、むしろ「どうしてこんなに新しく、素晴らしい音楽を作り続けられるんだろう」と思うことばかり。

 ご本人たちの言葉を借りると、高橋さん脱退後の「二匹オオカミ時代」も、4人のサポートメンバーを迎えた「大人青春時代」も、そして再び2人になった「メカニカル時代」も、常に新しく、オリジナルで、他に代用品の無い音楽を鳴らし続けてくれました。

 僕が世界で一番好きなバンド、チャットモンチー。僕がチャットモンチーを初めて観た2008年から、気づけば来年でちょうど10年目。2018年の7月まで、今度はどんな音楽を聴かせてくれるのかワクワクしながら、「笑顔でゴールテープを切る日まで」残された日々を大切に過ごしたいと思います。




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「majority blues」楽曲レビュー

 「majority blues」は、2016年11月30日に発売されたチャットモンチー18枚目のシングルの表題曲。CDでの発売に先駆けて、2016年7月20日より配信でも販売された。作詞・作曲は橋本絵莉子。

 チャットモンチーの魅力はいろいろありますが、僕が好きなところのひとつは、歌詞においても、アンサンブルにおいても、サウンドにおいても、引き算の表現ができるところです。語り過ぎないことで、行間に意味が生まれ、音を詰め込みすぎないことで、休符にも意味が生まれる、そんな感覚。また、感情をそのまま削りとったような生々しい歌詞というのも、多くの人がチャットモンチーの魅力として挙げるところだろうと思います。この「majority blues」も、サウンドも言葉もシンプルでありながら、様々な情景や感情がリアリティをともなって浮かぶ、チャットモンチーらしさに溢れた楽曲です。

対を意識させる歌詞

 イントロのギターの音は、一聴すると非常にシンプル。ですが、わずかに揺らいでいるような、紙に水がにじんで広がっていくような、妙に耳に残る味わい深いサウンドです。このあとに入ってくるドラムのリズムも、ゆったりとしていて隙間が多いのですが、スカスカには感じず、むしろ広々とした開放感を感じます。このアレンジとサウンド・プロダクションのおかげで、ボーカルが前景化され、歌詞の言葉がすっと耳に届きます。

 歌い出しは「マママママジョリティー」と聞こえますが、歌詞カードを確認すると「my majority」。そのあと「majority minority」と続きます。多数派を意味するマジョリティと、少数派を意味するマイノリティ。この組み合わせのように「majority blues」の歌詞には、対になる表現がいくつも出てきます。例えば、1番のAメロの「自転車で30分」と「帰り道は40分」、2番のAメロの「東京は思ったより近かった」と「徳島は思ったより遠かった」などが、それにあたります。では、この対になる表現がどういった効果をあげているのか、歌詞はなにを意味するのか、これから僕の解釈をご説明します。

 チャットモンチーの福岡さんと橋本さんは、ともに徳島県出身。ファンの方なら、この曲は橋本さんが徳島時代を思い返している曲だと、すぐに思い当たるはずです。もちろん、そういった側面もあるとは思いますが、ひとまず伝記的な事実に引っ張られ過ぎないよう、歌詞の言葉から伝わるものだけを手掛かりに、歌詞を読んでみましょう。

 まず、歌い出しは先ほども引用したように「my majority」。この部分だけでは何とも判断できませんが、「私の内部の多数派」あるいは「私のまわりの人たちのうちの多数派」といった意味でしょうか。その後に続く「majority minority」。名詞を並べただけですが、この並列も様々に解釈できそうです。

帰り道の時間が10分伸びたのはなぜか?

 Aメロの次のように始まります。

自転車で30分 薄暗い道 ライブハウスは思ったより狭かった
帰り道は40分 ヘッドライトの中 初めての耳鳴りが不安だった

 1行目はライブハウスへ向かう道、2行目はライブハウスからの帰り道を描写しています。行きは30分だったのに、帰りは40分になったのはなぜでしょうか。僕は、初めてライブハウスに行った興奮から、また耳鳴りが治らない不安から、帰りは自転車を降りて歩くなど、心を沈めるためにゆっくり帰ったのではないかと思います。もちろん、はっきりとは記述されていないので、夜道は暗くてスピードを出すのが危ないから10分長くかかった、という可能性もあります。いずれにしても、説明的ではないのに、そのときのイメージが喚起される表現です。

 また、行きは「薄暗い道」、それに対して帰りは「ヘッドライトの中」と対にしたのも絶妙ですね。単純に対応する言葉を選ぶなら「真っ暗な道」と書いてしまいそうだけど、「ヘッドライトの中」と書くことで、車のヘッドライトに照らされて、車道の端を自転車で走っていく様子が目に浮かびます。

現在から過去を語る「私」

 続いて、Bメロ。「帰りが遅くなって 夢を見るようになった」というのは、ライブハウスに初めて足を踏み入れた語り手の「私」が、その日から音楽に目覚め、自分もステージに立つ側になりたい、という夢を持ち始めたということでしょう。そして3行目に「16歳の私へ」とあります。ここで、「私」が現在の視点から、16歳当時のことを振り返っていることが示されます。

 音楽面にも少し触れておくと、サビの「my majority」という歌詞の部分は、イントロ部分とメロディーの動きは同じですが、ちょうど1音分キーを上げるように転調しています。例えば、イントロでは最初のコード進行がE→B→Aだったのが、サビではF#→C#→Bとなっています。メロディーも、ここまでは音の起伏が激しくありませんでしたが、サビでは上下が大きくなり、転調とも相まって、曲の高揚感と緊張感が増します。そんなサビ部分の歌詞を、下記に引用します。

my majority みんなと同じものが欲しい だけど
majority minority みんなと違うものも欲しい

 イントロ部の歌い出しと共通する「my majority」という言葉が、サビのこの部分に至って、より具体的な意味を帯び始めます。「私」の中のマジョリティはみんなと同じもの、すなわち友人と遊んだりといった日常的な楽しみが欲しい、しかし「私」の中のマイノリティはみんなと違うものが欲しい。すなわち他の人には作れない音楽を作りステージに立ちたい、そのような思いが想像できます。もちろん、作詞家の意図はそうではないかもしれませんし、人によっては全く別のメッセージを読み取るということもあろうかと思います。ここで主張したいのは、僕の解釈が正解ということではなく、イントロ部分で歌われた歌詞よりも、Aメロを経て、同じ言葉でも伝わる情報の量が増えている、ということです。

東京と徳島の距離

 続いて、2番のAメロの歌詞。1番では16歳当時のことが歌われましたが、2番では22歳当時のことが歌われ、語り手の「私」が故郷の徳島から、上京したことが明らかになります。

飛行機で70分 空の旅
東京は思ったより近かった
右も左もわからない 前しか見えない
徳島は思ったより遠かった

 1番でも「自転車で30分」「帰り道は40分」と、時間の長さをあらわす表現が使われていましたが、ここでも「飛行機で70分」という表現が繰り返されます。70分というのは、1番の歌詞に出てきた「30分」と「40分」、つまり家からライブハウスまでの往復時間と、ちょうど同じ長さです。具体的な時間を入れることで、その後に続く「東京は思ったより近かった」という歌詞も、よりリアリティを持って響きます。

 「東京は思ったより近かった」と対になる表現が、その2行後に続く「徳島は思ったより遠かった」という一節です。当然のことながら、徳島と東京の距離は、物理的には変わりません。ここで「私」が言っているのは、歌詞に「思ったより近かった」「思ったより遠かった」と示されているように、物理的な距離ではなく、精神的な距離感です。

 徳島に住んでいる時に、夢が叶う場所として夢想していた東京は、飛行機に乗ればあっけないほどに近かった。しかし、実際に東京で夢をかなえるべく日々を過ごしていると、徳島の日々が遥か遠くに思われる。このように、地名としての「徳島」と「東京」、そして自分が生まれ育った場所、夢が叶う場所という、自分の感情も含まれた意味での「徳島」と「東京」、このふたつの異なる意味が絡み合い、リスナーの様々な感情を喚起させるのが、この部分の歌詞です。

伝記的事実とのリンク

 先ほど、伝記的な事実に引っ張られ過ぎないよう、歌詞の言葉から伝わるものを読み取る、と書きましたが、ここで少しだけチャットモンチーの伝記的事実と重なる部分をご紹介します。2番のBメロには、以下の歌詞が続きます。

始まりの鐘が鳴り
さよならの味を知る
22歳の私へ

 チャットモンチーが上京し、メジャーデビューしたのは2005年11月23日。橋本さんと福岡さんは22歳、高橋さんは23歳のときです。そして、デビューミニアルバム『chatmonchy has come』の1曲目に収録されているのは「ハナノユメ」。その「ハナノユメ」を思わせるギターのフレーズとドラムのリズムが、「始まりの鐘が鳴り」の歌詞の前、1:52あたりから挿入されています。この話は、2016年11月23日におこなわれた「チャットモンチーの鋼鉄婚式~鋼の11年~」の夜の部において、ご本人たちの口から紹介されました。

過去の自分との対話

 16歳と22歳という具体的な年齢が示され、語り手の「私」が現在の視点、少なくとも22歳以降の時点から過去を振り返っていることがわかります。また、歌詞のなかでは、それぞれサビ前に「16歳の私へ」「22歳の私へ」というかたちで出てくることから、「私」が過去の自分自身へ話しかけているような印象を与えます。そして、2回目のサビでは、このように歌われます。

my majority
あなたを作るの私じゃない だけど
majority minority
あなたを守る人は私

 ここに出てくる「あなた」と「私」は、ともに語り手の「私」を指しているのではないでしょうか。少なくとも、僕はそう解釈します。「あなた」は過去の語り手であり、「私」は現在の語り手。「あなたを作るの私じゃない」というのは、過去を変えることはできない、そして「あなたを守る人は私」というのは、過去の自分の判断・価値観を、今の自分は肯定し、愛おしく思っている。そんな意味なのではないかと、僕は考えます。

過去、現在、そして未来へ

 さらに歌詞は次のように続き、結ばれます。

まだ見ぬ私へ
あなたを作るの私だけ
majority minority
あなたを守る人は私

 ここまでは現在から過去を振り返っていましたが、歌詞の最後の部分に至って、視点が現在から未来へと向かいます。「まだ見ぬ私へ」というのは、未来の「私」ということでしょう。そして、その後に続く「あなたを作るの私だけ」という部分の「あなた」は未来の私、「私」は現在の私であり、未来の自分を作れるのは自分だけ、と歌っています。つまり、「あなた」=「私」です。この部分からも「majority blues」が、自分自身との対話をテーマにした曲であることが示唆されます。繰り返し出てくる対になる表現も、時間の経過を印象づけ、自分自身と向き合うことも含意しているように思われます。

 ある時期以降の橋本さんの詞には、自分という他者との対話や発見を思わせるものが多いと考えているのですが、それはまた別の機会、別の歌詞を取り上げたときにじっくりと掘り下げたいと思います。

majority bluesのブルース性

 歌詞を最初から順に読み解いてきましたが、最後にタイトルについて。この曲のタイトル「majority blues」。ブルースというのは、もちろんアメリカで生まれた音楽形式の名称です。音楽形式としてのブルースの特徴として主に挙げられるのは、12小節を基本としたブルース形式と呼ばれる構成、3、5、7度の音が下がったブルー・ノートと呼ばれる音の使用、そして、日常的な感情、特に憂鬱や悲しみを歌う、といったところでしょう。

 上記にあげたような条件を満たさず、厳密な意味では形式としてのブルースではないのに、「○○ブルース」というタイトルを持つ曲は古今東西に数多くあります。そういった曲は、ブルースのエッセンスや思想を含んでいるために、またはブルースのように歌詞で悲しみや憂鬱について歌っているために、名づけられたものがほとんどです。では、「majority blues」においては、どのようなブルース性が認められるでしょうか。

 まずサウンド・プロダクション。先ほども触れたように、ギターの音はわずかに歪み、わずかに揺れるような音色です。橋本さんのギターといえば、「恋の煙」や「湯気」で聴かれるような鋭い歪み、「親知らず」や「満月に吠えろ」で聴かれるような粘りとコシのある歪みなど、普段はよりロック・オリエンテッドな音作りです。しかし「majority blues」では、味わい深い、枯れたような、ブルージーと呼んでいいサウンドを響かせています。

 ギター以外のドラムとベースも、エフェクトは控えめにシンプルな音作りと言ってよいでしょう。さらに、シンセサイザーで出しているのか、鉄琴とギターのハーモニクスを足したような音も聞こえます。この音色も、楽曲に独特の浮遊感と、ノスタルジックな空気をプラスしています。

 チャットモンチーの曲は、歌詞がメロディーに乗っても、言葉ひとつひとつがはっきりと聞き取れるところが魅力です。それだけ、言葉とメロディーが自然に、分割できないほどに溶け合っているということ。起伏の激しいメロディー、言い換えれば歌らしいメロディーなのに、まるで話し言葉のように、自然に聞こえます。「majority blues」のメロディーは、これまでの曲と比べると起伏が少なく、最初から話し言葉に近い印象を受けます。

 自分の感情を静かに、しかしその奥には熱い情熱を持って語る歌詞と、話し言葉の延長のように流れるメロディー。言葉、メロディー、サウンドが一体となっていて、まるでチャットモンチーという生き物が呼吸をしているように感じられます。個人的な感情を、なるべくシンプルな少ない言葉と音をもって描き出すこの曲は、チャットモンチー流の現代的な女性のブルースであると思います。




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「DEMO、恋はサーカス」楽曲レビュー

 「DEMO、恋はサーカス」は、2005年11月23日発売のミニアルバム『chatmonchy has come』に収録の楽曲。デビュー前の自主制作盤『チャットモンチーになりたい』にも収録されていた。作詞は橋本絵莉子・福岡晃子、作曲は橋本絵莉子。

 「中二病」という言葉が存在するように、青春というのは一種の病のようなところがあって、そのときにしか感じ得ない感情、そのときにしか見えない情景があります。この「DEMO、恋はサーカス」という曲にも、思春期のある時期のある感情が、言葉と音に閉じ込められていて、リスナーの年齢と精神状態によって、共感したり、心がヒリヒリしたり、昔を思い出しノスタルジックな気分になったりすることでしょう。こういうところが、自作自演のロックバンドの魅力のひとつです。そして、一部の雑誌やネット上のロックに関する言説に、自分語りが圧倒的に多いことの理由でもあるでしょう。

歌詞の描く状況

 曲はシンプルで飾り気のないサウンド・プロダクション、音数の少ないアンサンブルで始まり、サビに向かって段階的に演奏が荒々しさを増し、熱を帯びていきます。非常に切迫感のあるアレンジとサウンド、そして歌い方です。激しい演奏とも相まって、歌詞からも、焦燥感や切迫感が伝わります。では、具体的に歌詞が伝える状況、感情はどのようなものでしょうか。

 歌詞に登場するのは、語り手と「あなた」の2人。語り手は、「私」などの一人称代名詞は使いません。一人称代名詞を使用しないことで、より歌詞の独白感、心の叫び感が強まっています。冒頭の歌詞は以下のように始まります。

綱渡りじゃないんだから あなたの手なしでも歩いてゆく
目かくしじゃないんだから あなたの目なしでも歩いてゆく

 「綱渡り」「目かくし」というサーカスを連想させる言葉が使われ、語り手は「あなた」がいなくても歩いていく、と言います。この表現は、語り手がどういう気持ちで「歩いてゆく」と宣言しているのか、はっきりとはわからない曖昧さを残しています。「あなた」のことは好きでもないから必要ないと言いたいのか、「あなた」のことを好きだったけど気持ちの整理がついたからもう大丈夫と言いたいのか。そのような、自分でも把握できない揺れる感情を抱えたまま、曲は続きます。

青い夜空と澄んだ瞳と その笑顔に癒されていたのに
遠くにいても近くにいても その姿に癒されていたのに

なんでわざわざ今?

 次の引用部では、今までは「あなた」の存在に癒されていたけど、今はその関係が変わってしまったことが示唆されています。「なんでわざわざ今?」という一節は、サビ前、サビ後にも何度か繰り返されますが、今なにが起こったのかは明らかにされません。そして、サビでは以下のように歌われます。

あなたではないよ 他のだれかだよ
子どもの頃のように優しくしてほしい
あなたではないよ 他のだれかだよ
自惚れないでよ 落ち込まないでよ

 語り手は、ここで「あなたではない」と言い切っていますが、同時に「優しくしてほしい」とも言っています。「子どもの頃のように優しくしてほしい」とあるので、語り手と「あなた」は幼なじみで、「あなた」は語り手に好きだと伝えたけど、語り手はその気持ちを受け入れることができない、だから子どもの頃の関係性に戻りたい、という状況が想像できます。

 タイトルの「DEMO」という標記は、なにを含意しているのでしょうか。意味としては、接続詞の「でも」として受けとってよさそうです。「DEMO」と表記することで、デモテープ(デモ音源)が連想されます。

 デモテープというと、バンドなどが製作中の楽曲を、ライブハウスや友人などの他者に、聴いて評価してもらうために作成する音源を指します。いわば、まだ完成される前の段階=デモ段階のものです。「DEMO、恋はサーカス」というタイトルが示唆するのは、語り手と「あなた」の関係は、まだなにも始まっていないデモ段階の恋だということ。子供のころから仲良く遊んできた幼なじみの2人が、思春期になり、関係性が揺らぎ始めている、そういう状態を歌っていると、ひとつの可能性としては読み取れます。

 はっきりとは書かれていませんが、「あなた」は語り手のことが好きで、しかし語り手は幼なじみの友人としか思えない、でも、恋はサーカスのように不安定だから、語り手の気持ちも揺れている、そのような感情、状況がヒリヒリと伝わってきます。サビの歌詞の「あなたではないよ 他のだれかだよ」という部分からは、語り手に好きな人がいるわけではないけど「あなた」だけは無理とも受け取れるし、親しい関係性だからこそぶっきらぼうに扱っているとも感じられます。

 いろいろと書いてきましたが、僕の解釈が正解!と主張したいわけではなく、作者の意図が正解というわけでもないので、皆さんもご自身の心が赴くままに感じとってください。僕自身もこうして文章を書きながら、「やっぱり語り手もあなたのことが気になってるけど、まだ好きかわからない状態」「一度振ったくせに今更そっちから好きっていうなんてありえない!」という状況など、いろいろな考えが浮かんできます。

ドラムによるリズムの切り替え

 次にこの曲の音楽面について。前述したとおり、この曲はシンプルなサウンドと、ゆったりしたテンポから始まりますが、何度か段階的に音量とテンポが上がっていきます。特にドラムが、その切り替えのスイッチの役目を果たしていて、聴きどころのひとつです。

 イントロから、ギターとベース共に、音色はナチュラル、アレンジはシンプルです。ドラムも一聴すると音はシンプルで、リズムも叩き方もぶっきらぼうとも言えるあっさりとした印象。しかし、何回か聴いていると、前のめりに行きたいのか、少し遅らせてタメを作りたいのか、その中間のような絶妙なグルーヴ感が感じられます。

 0:45あたりからのハイハットのリズムの置き方も、じっくり聴くと少し複雑で、独特のノリを生んでいます。イントロからここまでは、8分音符より細かいリズムは出てきませんが、ここからハイハットが16分音符を使い始めて、曲の雰囲気がぐっと引き締まり、加速感も出てきます。

 1:12あたりで、テンポを上げるところも、スネアとタムを同時に叩くことが合図となり、バンド全体が一気に走り出します。

 1:48あたり、歌詞でいうと「青い夜空」からの後ろで叩かれるライド・シンバルも、ヒット毎に叩く強さと場所を変えているのか、それぞれ音質が異なります。高橋さんはライブでも叩く強さと位置を繊細に変えて、立体的な音を作り出すドラマーで、作詞家としてのみならず、ドラマーとしても天才だと思います。楽器が表現力あふれる演奏をすることを「歌っているようだ」と形容することがあります。バンドの中では、メロディーから最も遠い存在といえるドラムという楽器なのに、高橋さんのドラミングは歌っているようなドラミングなんですよね。

歌詞と音楽の親和性

 この曲はドラム以外のギターとベースも、クリーントーンのアルペジオから轟音のディストーション・サウンドへ、同音が続く8ビートから動きの多いラインへと、それぞれメリハリのついた演奏を繰り広げ、基本的には後半に向かうにつれて、音量が増していきます。歌詞には繰り返しの表現も多いのに、アレンジによって、歌詞がより鮮やかに聞こえます。前述したとおり「なんでわざわざ今?」という一節が何度か出てくるのですが、出てくる文脈が違うということ以上に、それぞれ違って聞こえてくるんですよね。

 音と言葉が合わさったときに、音単体、言葉単体よりも多くの情報が伝わる、少なくとも伝わるように感じることがあります。チャットモンチーは、歌詞と音楽の親和性、一体感が非常に高く、その情報量の多さ、表現の強度に、僕なんかいつも圧倒されてしまいます。音楽に圧倒されるという経験は他にも数多くありましたが、言葉と音が同時に耳と心を突き刺すような感覚は、チャットモンチーならではです、僕にとっては。

 あと、もうひとつ言っておきたいのは、他人の体験や感情を追体験できるということです。この「DEMO、恋はサーカス」という曲も、僕は幼なじみと恋に落ちた経験はないですが、単なる共感とも違う「あ、そういう感情ってあるんですね」と、むしろ自分の知らない感情を教えてくれるところがあります。僕は男ですけど、チャットモンチーを聴いて少しは女心がわかるようになったのではないかと思ったり(笑) あと、Aメロ→Bメロ→サビのような展開が、1回しかない(1番、2番のように繰り返さない)のが、4分間のポップ・ソングにしては、特殊といえば特殊。

 話が逸れてきましたが、チャットモンチーの楽曲は、本当に丁寧に作られたすばらしいものばかりです。ぜひ皆さんにも、じっくりと大切に聴いていただきたいと思います。




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「テルマエ・ロマン」楽曲レビュー

 「テルマエ・ロマン」は、2012年2月8日に発売されたチャットモンチー12枚目のシングル。5thアルバム『変身』にも収録されている。作詞・作曲は橋本絵莉子。テレビアニメ『テルマエ・ロマエ』の主題歌。

 この曲は高橋さん脱退後の2ピース時代、ご本人たちの言葉を借りると「二匹オオカミ時代」の楽曲で、ライブでも橋本さんのギターと、福岡さんのドラムとシンセのみなのですが、ベースの不在を感じさせない、2人の音楽への情熱がほとばしる曲です。ちなみに福岡さんは、当時のライブではこの曲に限らず、ドラムを叩きながら片手でシンセを弾く、ということをやっています。

生々しいサウンドプロダクション

 冒頭から、チャットモンチーのライブ会場に迷い込んだような、臨場感あふれる音で始まり、楽器の数は少ないながら、それぞれ音量が大きめで、ダイナミズムを感じる1曲です。まず、イントロのバスドラの音が、残響音まで閉じこめるように生々しい音で鳴っています。ベースの代わりに入れていると思われるシンセも、中音域を埋めるようにアナログ的なサウンドで響きます。そして、橋本さんのボーカル。こちらは風呂場を意識しているのか、若干のリバーブがかけられています。

 僕はこの曲のサウンドプロダクションが非常に好きで、初めて音源を聴いたときには「スティーヴ・アルビニ先生が録音したみたいだ!」と思いました。飾り気が無く、実際に風呂場で演奏しているみたいに、その場の空気感まで伝わる音作り。2000年代中盤以降は、いわゆるドンシャリな音、ドラムならアタックの強い打ち込み的な音が、いい音とされる傾向にあると個人的に感じています。携帯音楽プレーヤーやストリーミングサービスが、ますます一般化しているのも関係しているのだと思いますが、プアな視聴環境でもパワフルに感じる音がよしとされるのだろうなと。そういう音も嫌いではないですが、常にそれしか聴いていないと、化学調味料たっぷりのカップラーメンのようで飽きてしまうんですよね。たまには、素材から拘りぬいた、こんな音が聴きたくなります。

 話が逸れました。サウンドの話に戻りますと、イントロのバスドラは直接のアタック音よりも、キックをしたときの音の弾む感じまで聞こえるような音作りで、「そうそう、バスドラ踏んだときってこういう音するよな」という臨場感に溢れています。前述したとおり、橋本さんのボーカルには歌い出しから軽くリバーブがかかっているのですが、0:14あたり、歌詞でいうと「水圧に負けるようでは」の部分から、早くもリバーブが消えて、ストレートに声が聞こえるようになります。こういうところからも、サウンドに対するこだわりが感じられますよね。

ダイナミズムを感じるアレンジ

 この曲は2人で演奏されているためベース不在ですが、それを感じさせないほど、荒々しくパワフルな演奏です。2人だけでも最大限に強弱とメリハリをつけて、ダイナミズムを感じられるようアレンジも作り込まれています。いや、作り込んでいると表現すると、すべて楽譜に書いたとおりに演奏するという印象を与えるかもしれませんが、かっちりとリズムを合わせるところと、多少のリズムの走りは気にせず突っ走るところが、しっかり切り替えられていてメリハリがある、ということです。

 ドラムに注目して聴いていくと、0:14あたり「シャワーの水圧」の歌詞の前に入るシンバルが、スタートを告げる合図のように響き、ここから演奏のシフトが切り替わり、曲が加速していきます。前述したとおり、同じ部分で橋本さんのボーカルにかかるリバーブも解除されます。

 0:27あたり「偶然できた」からは、複数のタムを加えて、ドラムが立体的になります。0:40あたり「リンス先輩」からは、基本リズムは変わらず、叩くタムを増やしているだけなのに、全くイメージが違って聞こえてきます。

 次にサビの部分。0:55の「いつもより」からのドラムは、打ち付けるように跳ねるようなリズムを叩いているのですが、これが1:07あたりからは手数を減らして、シンバルで4分音符を叩きます。このリズムの切り替えが、落ち着きと解決感を与えていて、こういう自由な発想がなんともチャットモンチーらしいなと。コード進行で解決感を出すというのは当たり前ですが、僕は才能が無いのでリズムでこういうメリハリをつけるようなことは思いつかない。

 当時の福岡さんは、ドラムを始めたばかりで、テクニック的には未熟な部分もあったと思うのですが、このようなアレンジを聴くと、やっぱり才能溢れるミュージシャンなのだなと実感します。

歌詞の二面性

 まず一聴して感じるのは、これは風呂の歌なのかなんなのかということです(笑) ただ単に、1日の終わりにお風呂に入っている歌なのかと思いきや、それだけには収まらないイメージをかきたてる言葉が歌詞の随所に散りばめられているし、なにより橋本さんのボーカルが何に対する怒りなのかっていうぐらい、キレッキレでエモーショナルです。

 2番のAメロの歌詞に「ここは一日の最後の場所」と出てくるように、お風呂は多くの人にとって、寝る前のリラックスタイムにあたる場所のはずです。では、この曲はお風呂でリラックスしている牧歌的な歌なのかといえば全くそんなことはなく、語り手には1日で溜まった悩みや疲れやストレスやイライラを発散するような、切迫感があります。例えばサビの「お疲れ様は疲れてるんだ」、そして最後の「ヒントはどこに浮かんでるんだ?」という歌詞からも、語り手の精神状態がうかがい知れます。

 歌詞でもうひとつ触れておきたいのは、2:40あたりから始まるカウントダウンで、どの数字のときの声が好きか、という問題です。個人的には「7」が一番好き。地声と裏声を混ぜて発声することをミックスボイスと呼びますけれども、この「7」は橋本さんのかわいい声とかっこいい声のちょうど中間ぐらいのミックス具合なんですよね。そもそも、このカウントダウンも、子供が親に促されてお風呂場で数を数えることに由来しているのだと思いますが、普通は「いーち、にーい、さーん…」と1から数えていくはずなのに、10からのカウントダウンって! なにか発射か爆発でもするんですか!?って感じですね(笑) こういうセンスも本当に天才的で、橋本さんならではです。

コミカルなシリアス・ソング

 アニメの主題歌ということで、歌詞の綴り方も「泡てた」「汗る」など、本来だったら「慌てた」「焦る」と書くべきところを、風呂を連想させる言葉に置き換えて、コミカルな印象を与えています。しかし、語り手は「いつもより ゆっくりお風呂に入」りたい、そして「隠しても無駄なものが この世には多すぎる」と思わず吐き出したい気分のようです。歌詞は一見するとコミカルなお風呂の歌なのに、ただの楽しい歌で終わらず、リアルでダウナーな感情もしっかり閉じ込められているところが、実にチャットモンチーらしいと思います。

 サウンドプロダクションにおいても、歌詞においても、やっぱり彼女たちは基本的な姿勢がオルタナティヴなんですよね。それは、サウンドや歌詞の傾向が、いわゆるジャンルとしてのオルタナティヴ・ロックに近いということではなくて、常に選択肢の「じゃない方」「違う方」を勇気と好奇心を持って選び続けるということです。もう、チャットモンチーのこういうところが本当に好き。




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