「DEMO、恋はサーカス」楽曲レビュー

 「DEMO、恋はサーカス」は、2005年11月23日発売のミニアルバム『chatmonchy has come』に収録の楽曲。デビュー前の自主制作盤『チャットモンチーになりたい』にも収録されていた。作詞は橋本絵莉子・福岡晃子、作曲は橋本絵莉子。

 「中二病」という言葉が存在するように、青春というのは一種の病のようなところがあって、そのときにしか感じ得ない感情、そのときにしか見えない情景があります。この「DEMO、恋はサーカス」という曲にも、思春期のある時期のある感情が、言葉と音に閉じ込められていて、リスナーの年齢と精神状態によって、共感したり、心がヒリヒリしたり、昔を思い出しノスタルジックな気分になったりすることでしょう。こういうところが、自作自演のロックバンドの魅力のひとつです。そして、一部の雑誌やネット上のロックに関する言説に、自分語りが圧倒的に多いことの理由でもあるでしょう。

歌詞の描く状況

 曲はシンプルで飾り気のないサウンド・プロダクション、音数の少ないアンサンブルで始まり、サビに向かって段階的に演奏が荒々しさを増し、熱を帯びていきます。非常に切迫感のあるアレンジとサウンド、そして歌い方です。激しい演奏とも相まって、歌詞からも、焦燥感や切迫感が伝わります。では、具体的に歌詞が伝える状況、感情はどのようなものでしょうか。

 歌詞に登場するのは、語り手と「あなた」の2人。語り手は、「私」などの一人称代名詞は使いません。一人称代名詞を使用しないことで、より歌詞の独白感、心の叫び感が強まっています。冒頭の歌詞は以下のように始まります。

綱渡りじゃないんだから あなたの手なしでも歩いてゆく
目かくしじゃないんだから あなたの目なしでも歩いてゆく

 「綱渡り」「目かくし」というサーカスを連想させる言葉が使われ、語り手は「あなた」がいなくても歩いていく、と言います。この表現は、語り手がどういう気持ちで「歩いてゆく」と宣言しているのか、はっきりとはわからない曖昧さを残しています。「あなた」のことは好きでもないから必要ないと言いたいのか、「あなた」のことを好きだったけど気持ちの整理がついたからもう大丈夫と言いたいのか。そのような、自分でも把握できない揺れる感情を抱えたまま、曲は続きます。

青い夜空と澄んだ瞳と その笑顔に癒されていたのに
遠くにいても近くにいても その姿に癒されていたのに

なんでわざわざ今?

 次の引用部では、今までは「あなた」の存在に癒されていたけど、今はその関係が変わってしまったことが示唆されています。「なんでわざわざ今?」という一節は、サビ前、サビ後にも何度か繰り返されますが、今なにが起こったのかは明らかにされません。そして、サビでは以下のように歌われます。

あなたではないよ 他のだれかだよ
子どもの頃のように優しくしてほしい
あなたではないよ 他のだれかだよ
自惚れないでよ 落ち込まないでよ

 語り手は、ここで「あなたではない」と言い切っていますが、同時に「優しくしてほしい」とも言っています。「子どもの頃のように優しくしてほしい」とあるので、語り手と「あなた」は幼なじみで、「あなた」は語り手に好きだと伝えたけど、語り手はその気持ちを受け入れることができない、だから子どもの頃の関係性に戻りたい、という状況が想像できます。

 タイトルの「DEMO」という標記は、なにを含意しているのでしょうか。意味としては、接続詞の「でも」として受けとってよさそうです。「DEMO」と表記することで、デモテープ(デモ音源)が連想されます。

 デモテープというと、バンドなどが製作中の楽曲を、ライブハウスや友人などの他者に、聴いて評価してもらうために作成する音源を指します。いわば、まだ完成される前の段階=デモ段階のものです。「DEMO、恋はサーカス」というタイトルが示唆するのは、語り手と「あなた」の関係は、まだなにも始まっていないデモ段階の恋だということ。子供のころから仲良く遊んできた幼なじみの2人が、思春期になり、関係性が揺らぎ始めている、そういう状態を歌っていると、ひとつの可能性としては読み取れます。

 はっきりとは書かれていませんが、「あなた」は語り手のことが好きで、しかし語り手は幼なじみの友人としか思えない、でも、恋はサーカスのように不安定だから、語り手の気持ちも揺れている、そのような感情、状況がヒリヒリと伝わってきます。サビの歌詞の「あなたではないよ 他のだれかだよ」という部分からは、語り手に好きな人がいるわけではないけど「あなた」だけは無理とも受け取れるし、親しい関係性だからこそぶっきらぼうに扱っているとも感じられます。

 いろいろと書いてきましたが、僕の解釈が正解!と主張したいわけではなく、作者の意図が正解というわけでもないので、皆さんもご自身の心が赴くままに感じとってください。僕自身もこうして文章を書きながら、「やっぱり語り手もあなたのことが気になってるけど、まだ好きかわからない状態」「一度振ったくせに今更そっちから好きっていうなんてありえない!」という状況など、いろいろな考えが浮かんできます。

ドラムによるリズムの切り替え

 次にこの曲の音楽面について。前述したとおり、この曲はシンプルなサウンドと、ゆったりしたテンポから始まりますが、何度か段階的に音量とテンポが上がっていきます。特にドラムが、その切り替えのスイッチの役目を果たしていて、聴きどころのひとつです。

 イントロから、ギターとベース共に、音色はナチュラル、アレンジはシンプルです。ドラムも一聴すると音はシンプルで、リズムも叩き方もぶっきらぼうとも言えるあっさりとした印象。しかし、何回か聴いていると、前のめりに行きたいのか、少し遅らせてタメを作りたいのか、その中間のような絶妙なグルーヴ感が感じられます。

 0:45あたりからのハイハットのリズムの置き方も、じっくり聴くと少し複雑で、独特のノリを生んでいます。イントロからここまでは、8分音符より細かいリズムは出てきませんが、ここからハイハットが16分音符を使い始めて、曲の雰囲気がぐっと引き締まり、加速感も出てきます。

 1:12あたりで、テンポを上げるところも、スネアとタムを同時に叩くことが合図となり、バンド全体が一気に走り出します。

 1:48あたり、歌詞でいうと「青い夜空」からの後ろで叩かれるライド・シンバルも、ヒット毎に叩く強さと場所を変えているのか、それぞれ音質が異なります。高橋さんはライブでも叩く強さと位置を繊細に変えて、立体的な音を作り出すドラマーで、作詞家としてのみならず、ドラマーとしても天才だと思います。楽器が表現力あふれる演奏をすることを「歌っているようだ」と形容することがあります。バンドの中では、メロディーから最も遠い存在といえるドラムという楽器なのに、高橋さんのドラミングは歌っているようなドラミングなんですよね。

歌詞と音楽の親和性

 この曲はドラム以外のギターとベースも、クリーントーンのアルペジオから轟音のディストーション・サウンドへ、同音が続く8ビートから動きの多いラインへと、それぞれメリハリのついた演奏を繰り広げ、基本的には後半に向かうにつれて、音量が増していきます。歌詞には繰り返しの表現も多いのに、アレンジによって、歌詞がより鮮やかに聞こえます。前述したとおり「なんでわざわざ今?」という一節が何度か出てくるのですが、出てくる文脈が違うということ以上に、それぞれ違って聞こえてくるんですよね。

 音と言葉が合わさったときに、音単体、言葉単体よりも多くの情報が伝わる、少なくとも伝わるように感じることがあります。チャットモンチーは、歌詞と音楽の親和性、一体感が非常に高く、その情報量の多さ、表現の強度に、僕なんかいつも圧倒されてしまいます。音楽に圧倒されるという経験は他にも数多くありましたが、言葉と音が同時に耳と心を突き刺すような感覚は、チャットモンチーならではです、僕にとっては。

 あと、もうひとつ言っておきたいのは、他人の体験や感情を追体験できるということです。この「DEMO、恋はサーカス」という曲も、僕は幼なじみと恋に落ちた経験はないですが、単なる共感とも違う「あ、そういう感情ってあるんですね」と、むしろ自分の知らない感情を教えてくれるところがあります。僕は男ですけど、チャットモンチーを聴いて少しは女心がわかるようになったのではないかと思ったり(笑) あと、Aメロ→Bメロ→サビのような展開が、1回しかない(1番、2番のように繰り返さない)のが、4分間のポップ・ソングにしては、特殊といえば特殊。

 話が逸れてきましたが、チャットモンチーの楽曲は、本当に丁寧に作られたすばらしいものばかりです。ぜひ皆さんにも、じっくりと大切に聴いていただきたいと思います。




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